僕にとって「愛」とはなにか?

僕は2021円の11月に「あなたにとって愛ってなんですか?」という企画を、noteとstand.fm同時進行で開催しました。

※ちなみにその時に参加してくださった方のnoteの記事やラジオ収録はこちらにまとめています

で、この企画の最終日に「僕にとっての愛についても発表しまーっす!」と皆さんにお伝えしていたのですが、実はまだ何も発表できていなかったんです。

というのも、2021年11月24日に母が自宅で倒れてしまい、緊急入院をすることになりました。そして、そこから僕の愛の定義がぐるぐると変化していったんです。

母が亡くなった今も、その定義が変わり続けている感覚です。

しかし、僕は2021年11月18日と、11月30日にふたつのメモを残していました。

ふと、「これが愛なのかもしれない。スマホに残しておこう」と思い立ち、そのままバーっと書き上げたものです。

つまり、母が入院する直前と直後の文章です。

今回はその時に書いていたものを、そのままアップしたいと思います。

目次

母が入院する直前に残したメモ

愛は太陽みたいなもの
エネルギーである

ただそこにある、というものでしかない

太陽も照らす場所を選ばない
どこにも平等に照らし続ける

時に雲が覆ってしまうと光は弱くなる
けれども太陽自体の強さは変わらない

昨日も今日も明日も
太陽は同じ強さで輝いている

それを受け取ることができる日もあれば
そうでない日もある

強く感じられる時もあれば
全く感じられない時もある

愛はそういうものだ

自分の中にある
ただそこに存在する力、エネルギー

しかし、生まれてから育っていくうちに
そのエネルギーを雲が覆ってしまう

たまにその雲を吹き飛ばしてくれる出来事もある

だけどまたすぐに雲がかかる
雲をどかしても太陽が出てこないこともある

でもさらにその先には間違いなく太陽がある
誰にでもあるのだ

生まれもって人間が持っているもの

愛することは生まれながらにしてできないけど、
愛は生まれながらにして持っている

2021年11月18日

母が入院した直後に残したメモ

愛とは必ずしもそのときに感じるものではない

愛の受け手としては
過去の記憶を蘇らせて

「あぁ、あの時は愛されていたなぁ」とか
「僕にとっては歪んだ愛だけど、親は愛をかけていたんだなぁ」とか

そういうことを思えたときに
その瞬間に愛が生まれるってこともある

愛は時間を超える
愛は空間を超える

そのときに存在しなくても
未来に存在することがあるのだ

2021年11月30日

今回の記事のまとめ

ふたつのメモを読んでいただきありがとうございました。

そして、「僕にとっての愛」の記事を出すことが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

改めてこのメモを自分でも読んでみて、すごくしっくりくるなぁという感覚もあります。

その一方で「もっと違うなにかがある」という感覚も持っています。

今すぐには言葉にすることは難しいですが、今後またふと「メモに残しておこう」という時が来たり、がっつり執筆できる時が来たりすると思うので、じっくり醸成させていこうと思います。

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